もはや、能力や知識は、インストールする時代だ。
カプセル状の錠剤を飲むと、一般的なものは、30分ほどでデータが脳にインストールされる。
身体的な影響を考慮し、使用は15歳からとなっているが、ほとんどの教育が必要なしとされるほどカプセルの技術は進んでいた。基本的な学問の知識から始まり、世界のあらゆる言語のカプセル、スポーツの、基礎・中級・上級カプセル、上手く人とコミュニケーションができるようになるカプセル、駅の時刻表のカプセル、データ化できるものはほとんどされつくされていた。
海外に行きたいときには、現地の言葉のカプセルを飲めば、30分後には会話をすることができる。旅行先で迷わないようにするには、周辺の地図データのカプセルを飲めば良い。
お分かりの通り、カプセルさえあれば何でもできてしまう。カプセルは便利だ。
そのため、社会はカプセルを中心に構築しなおされた。
コーヒーメーカーが、カプチーノの味を再現するカプセルを開発し、旅行会社は、世界の絶景を巡っているかのようなビジョンが現れるカプセルを開発する。人々は、本物よりもカプセルを求めるようになっていた。
しかし、カプセル社会は不平等を含んでいた。
カプセルは値段に幅があり、例えば、車の運転免許などはそれなりのお金が必要だが、自転車は安いというような、技術的なもの。また、24時間に限定して剣道の達人になるなど、時間制限があるものは、そうでないものに比べると安かった。
このように、質の良いカプセルは高く、質の劣るカプセルは安い。
つまり、財力のある人間は良いカプセルを使い、それによって得たスキルで、さらにお金を作り上げる。財力のない人間は、良いカプセルを買えず、所詮、科学のドーピングにかなうわけもなく、もともといる場所に甘んじるしかないのだ。
これがカプセルによる格差であり、不平等だ。
それは、崩れることはない。カプセルを廃止するには社会は大きくなりすぎていたし、カプセルを使った一部の賢い集団に、一般人がかなうはずもない。こうして、カプセル社会は完成されたのだ。
そして、その2つの層の上に私がいる。
これが、最初のカプセル開発者である、私の計画だった。
人々がカプセルを使えば使う程、私が豊かになるのだ。
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